尖閣諸島 1895年の「領有」閣議決定について

2013.08.31 の記事

尖閣諸島が日本固有の領土であるという根拠は、1895年の日清講和条約調印の直前に、尖閣諸島に国の標杭を建てることを認める、という閣議決定があったということだけです。

ところがこの決定は、講和交渉をやっている最中の清国には伝えられず、英米露仏などの列強にも伝えられませんでした。つまり世界中の誰も知らない話でした。

領有するならするで、せめて隣人である清国に通告すべきです。それが礼儀です。
なぜ、明治政府はそんな礼儀知らずの姑息なことをしたのでしょうか?

閣議決定があったことは事実です。
下は内務大臣が閣議で議論して決定することをを要請したものです。

秘別第133号 標杭建設に関する件
沖縄県下八重山群島の北西に位する久場島魚釣島は従来無人島なれども近来に至り諸島へ向け漁業等を試むる者これあり、これが取締りを要するをもって同県の所轄とし標杭建設いたしたき旨同県知事より上申これあり、右は同県の所轄と認むるにより、上申の通り標札を建設せしめんとす、右、閣議を請う。 明治28年1月12日 内務大臣  野村 靖

下は、その要請を受けての閣議決定です。

明治28年1月14日
別紙内務大臣の請議、沖縄県下八重山群島の北西に位する久場島魚釣島と称する無人島へ向け近来漁業等を試むる者これあり、そのため取締まりを要するについては、同島の儀は沖縄県の所轄と認むるをもって標杭建設の儀、同県知事上申の通り許可すべしとの件は、別に差し支えこれなきにつき請議の通りにて然るべし
指令 標杭建設に関する件、請議の通り 明治28年1月21日

この閣議決定に至る事情を、国会図書館外交防衛課の濱川今日子氏が次のようにレポートしています。

http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/issue/0565.pdf

尖閣諸島の領有をめぐる論点
―日中両国の見解を中心に―
国立国会図書館 ISSUE BRIEF NUMBER 565(2007. 2.28.)
外交防衛課(濱川今日子)

(2) 国標設置に関する井上馨外務卿の見解
1885(明治 18)年、沖縄県令は、尖閣諸島の実地調査にあたり、国標建立について指揮を仰ぎたいとの上申書を山県有朋内務卿に提出した。内務卿は、これらの諸島が清国に属している証拠が見当たらず、沖縄県が所轄する宮古島や八重山島に接近した無人島嶼であるので、国標の建立は差し支えないとして、「無人島久米赤島他外二島ニ国標建立ノ件」を太政官会議に提出するための上申案をまとめた。続いて同年 10 月 9 日には、井上馨外務卿と協議し、その意見を求めた。10月21日の外務卿の回答は次のような内容である。これらの島嶼は、清国国境にも近い小島嶼である。また、清国はその島名もつけていて、清国の新聞に、我が政府が台湾付近の清国領の島嶼を占拠したなどの風説を掲載して、我が政府に猜疑を抱き、しきりに清国政府の注意を促す者もいる。ついては、「公然国標ヲ建設スル等ノ処置有之候テハ、清国ノ疑惑ヲ招キ候間、…(中略)…国標ヲ建テ開拓ニ着手スルハ、他日ノ機会ニ譲リ候方可然存候。」この回答を受けた内務卿は、国標建設の件を太政官会議に上申するのを見送った。上記の井上外務卿の見解は、尖閣諸島が清国に属することを認める趣旨であろうか。これについては、当時小国であった日本の、大国清に対する外交上の配慮であり、朝鮮問題及び琉球処分という重大問題が介在する中、このような小さな問題で、今清国と事を構えるのは得策ではないという、外務省としては当然の発想であると指摘されている。

(3) 国標設置許可の閣議決定
1885(明治 18)年以降、古賀辰四郎氏が尖閣諸島に渡航し、鳥毛の採取や漁業に従事していたが、他にも、尖閣諸島に渡航し、漁業その他を行う者が現れるようになった。そこで沖縄県知事は、水産業の取締りのため、1890(明治23)年1月13日に内務大臣宛に、無人島魚釣島ほか 2 島を八重山島役所の所轄にしてほしいとの伺いを出し、さらに 1893(明治 26)年 11 月 26 日にも、内務、外務両大臣宛に同様の上申をした。しかし、政府はいずれにも回答を示さなかった。また、1894(明治 27)年には、古賀氏が内務、農商務両大臣に尖閣諸島開拓の許可を願い出たが、認められなかった。1894(明治 27)年 8 月 1 日、日清戦争が開戦し、その年末には勝敗がほぼ決定していた。そのような情勢下にあった12 月27 日、野村靖内務大臣は、1885(明治18)年当時とは事情が異なるとして、「久場島及び魚釣島へ所轄標杭建設の件」の閣議提出について、陸奥宗光外務大臣の意見を求めた。翌1895(明治28)年1月11日、外務大臣は、外務省としては別段異議がない旨回答した。かくして本件は、1895(明治28)年1月14日の閣議に提出され、沖縄県知事の上申通り、「久場島及び魚釣島」を同県所轄とし、標杭建設を許可する閣議決定がなされた。

最近知ったことですが、実は、この閣議決定が世界に明らかにされたのは戦後の1950年です。
これは重要なポイントだと思われます。1895年に閣議決定されてから、

1.なぜずっと公開されなかったのか?
2.なぜ55年も過ぎてから公開されたのか?

その理由を推理してみましょう。

55年間公開されなかった理由

濱川氏が書いているように、1880年代から、釣魚台近海で漁業等をしたい、という民間の要望がありましたが、清国の力が強いのでなかなか実現しませんでした。ところが1894年に日清戦争が起こり、日本海軍が清国海軍を粉砕したので、清国の脅威はなくなりました。そこで再度、漁業の話が持ち上がり、閣議決定がなされたわけです。
時の主要閣僚は以下の通りです。(1895年1月)

総理大臣 伊藤博文
外務大臣 陸奥宗光
陸軍大臣 大山 巌
海軍大臣 西郷従道
農商大臣 榎本武揚
逓信大臣 黒田清隆

いずれも明治の元勲と言われる人たちで、幕末維新の白刃をくぐってきた猛者ばかりです。朝鮮の動乱を好機として清国に戦争を仕掛けた内閣です。尖閣のような小さな岩礁をコソ泥のように取って、知らぬ顔をするような人々ではないし、そうする動機もまったくありません。

たぶん、漁にはシーズンがありますから、いつになるか分からない日清講和条約の締結を待っていたのでは、1年を棒に振ってしまうので、なるべく早くやらせてやろうということで、外務大臣の陸奥宗光は内務大臣から問われて、どうせ講和条約で台湾ごと分捕るつもりだから、この状況なら見切り発車しても問題ないと判断したのでしょう。

それだけのことです。「これをもって領有」などという大げさなことではなく、その程度のことだからこそ、いちいち諸外国に通告することもしませんでした。その直後の日清講和交渉で台湾ごと日本領にするつもりでしたから、釣魚台も当然台湾にくっついて日本領になる予定で、それにて一件落着となるはずでした。

そして実際そうなったのです。台湾ごと日本領になりましたから、魚釣島に杭を建ててもよい、などという閣議決定には特別な意味はなくなったわけです。ですから、明治政府の誰もが、そんな閣議決定をしたことさえ忘れてしまったでしょう。まさかその50年後に、こんどは日本が戦争に負けて台湾を中国に返すことになるとは知るよしもありません。

1950年に公開した理由

中国から見れば、尖閣諸島は日清戦争の戦利品として、台湾本島に付属する小島として、日本が清国から奪ったものです。おそらく明治の元勲の理解も同じです。
ですから、日本がポツダム宣言を受諾して台湾を中国に返還するのであれば、同時に尖閣も中国に返還されてしかるべきものです。戦争に勝って堂々と分捕ったのだから、戦争に負ければいさぎよく堂々と返すべきものです。

ところがそうはなりませんでした。

それはアメリカが沖縄もろとも尖閣諸島を占領してしまったからです。中国としては不満ですが、蒋介石は国共内戦でそれどころではありませんでした。

ところが1949年に蒋介石は大陸で敗れて、台湾に逃げ込みます。そして台湾を統治するわけですが、そうなると台湾の漁民たちから「尖閣周辺で自由に漁をしてもよいはずなのに、どうして俺たちは排除されるのか」という陳情がやってくるわけです。

そこで蒋介石もそれはおかしいと気づいて、占領しているアメリカに抗議しました。これは事実で、このころ、アメリカに留学している中華民国の学生たちが、釣魚台奪還をスローガンに保釣連盟を作りました。現在の馬英九中華民国(台湾)総統も、若いころのアメリカ留学時にはそのメンバーだったそうです。

アメリカとしては、大陸で中華人民共和国が成立してしまった状況では、大陸に最も近い島である尖閣は、蒋介石には返さずに自分で保持しておきたいわけです。しかし普通の理屈では尖閣は中華民国に帰属すべきものですし、中華民国は戦勝連合国の一員ですから丁重に扱わなければなりません。

ですからアメリカは、アメリカがなぜ尖閣を占拠できるのか、その正当性を蒋介石に説明する必要があったわけです。そこでアメリカは占領下にあった日本政府に対して、アメリカが尖閣諸島を占拠できる理由を探せ、と命令します。そこで日本政府が古い記録を探したところ、なんとラッキーなことに、日清講和に先立つ3か月前に、日本政府は魚釣島に標杭を立ててよい、という許可を沖縄県に出していたという閣議決定書が出てきたわけです。

そこで日本政府は1950年に、実はこういう閣議決定があるので尖閣は日本領であり、したがってアメリカが占拠してもよい、という姑息な理屈を発表したわけです。

堂々とやろうではないか

要するに日本は、1950年にはそうと知って言い始めたのですが、アメリカの都合で、「尖閣は日本の領土だ」と、言っているというより、言わされているのです。

ですから、そんな話をいつまでも言い続けるのは、愛国心でも何でもなく、知らずに言うならただの無知であり、知って言うなら対米隷属の属国根性でしかありません。多くの日本人は前者であり、現政権の総理も外務大臣も防衛大臣も前者です。石原某などの仕掛け人は後者です。

明治の元勲たちが、いま日中間で尖閣をめぐって領土争いがあり、日本側の主張の唯一の根拠があの1895年の閣議決定で、子孫たちはこれをもって、「日本が尖閣諸島を領有した瞬間である」などと息巻いていることを草葉の陰で知れば、あの乱暴な明治の元勲たちでさえ呆れかえるでしょう。

無主の土地だから閣議決定で領有した? 先占の論理?
そんな恥ずかしいヘリクツを言うな、俺たちはそんな姑息なことはしていない

先祖の顔に泥を塗る気か? 武士道はどこに行った?
戦争に勝って堂々と分捕ったんだ、俺たちが血を流したんだ
堂々とやれ、 勝って堂々と取ったんだ、 負けたら堂々と返せ

尖閣で譲ったら沖縄まで取られる? なんたる弱音か、しっかりしろ、
それこそ全力で跳ね返せ、必要なら軍備を増強しろ、筋を通せ、堂々とやれ
ということです。

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