藤井聡太4段 登場

藤井フィーバー

中学生棋士の藤井聡太4段の連勝を、気鋭の若手の佐々木勇気5段が、さすがに先輩の意地を発揮してストップさせました。将棋の内容も佐々木5段が終始リードして勝ちきりました。もともと連勝そのものは将棋の成績として大して重要ではなかった(勝率や勝数の方が重要)のですが、デビュー以来負けなし、ということで注目されたわけで、それも29連勝という新記録達成で一段落しましたから、これでフィーバーも沈静化するでしょう。自分の記録を破られた神谷8段は「ほとんど無名の自分が幸運で作った記録を、しかるべき天才が塗り替えてくれたのは将棋界にとって良いことだ」と潔いコメントを出していました。

この数ヶ月の将棋フィーバーは、将棋界にとって大いに追い風となりました。今まで将棋を知らなかった多くの人が、棋士という人々が、盤面に向かって何時間も延々と考えて勝負をしている、という姿を実際にテレビで見て感銘を受けたことは、とても意味のあることでした。私は昔、テレビの将棋番組を見ていると、娘によく「お父さんはおかしい、テレビ動いてないやん」と言われたものですが、これまで多くの人にとって、なんでこんなものが面白いんだろう、というものだったのが、藤井君が一生懸命考えている姿を見て、「何だか分からないけど、きっとすごいことに違いない」という感覚に変わったことでしょう。また、相手役としてテレビに登場した、増田4段、佐々木5段、瀬川5段、沢田6段や、バラエティ番組で解説に出た田中寅彦9段や森下卓9段、中村太地6段など、いずれも好印象を持たれたのではないかと思います。

コンピュータの問題

思えば、藤井4段がプロデビューした昨年の10月に、将棋界を震撼させる不祥事が起こりました。渡辺(カッコ竜王)による三浦9段誣告(ぶこく:ウソのことで訴え出ること)事件です。その後、藤井4段の活躍の一方で、事件の処理を巡って将棋界は大揺れになり、谷川会長が辞任して佐藤康光九段が新会長に就任し、理事が総入れ替えになり、三浦九段も和解を受け入れ、5月から新しい理事会がスタートしたのでした。

これら一連の動きの底流に、コンピューターソフトの問題がありました。2012年1月に故・米長九段がコンピュータと本格的に対戦して敗れて以来、コンピュータとプロ棋士とはどちらが強いのかという問題がずっと続いていました。そして電王戦という人間対コンピュータの棋戦が企画され、毎年プロ棋士対コンピュータの勝負が行われて来ましたが、人間はずっと劣勢で、昨年は山崎隆之8段が、今年はいよいよ佐藤天彦名人が登場しましたが、いずれもコンピュータに0勝2敗で負けました。そしてコンピュータ側から、もうコンピュータの方が強くなった、決着がついた、と宣言が出されて電王戦は終了しました。同じ事が囲碁の世界でも同時に起きました。今年の正月に、グーグルのソフトが世界のチャンピオンたちを次々に打ち負かしたのです。そしてグーグルは、もうコンピュータの方が強いから、人間との勝負はこれでおしまい、と宣言したのです。

コンピュータの方が強いのなら、人間同士の勝負には意味がない・・・・・と思われがちですが、そうではありません。100m競走でオートバイに負けても、人間同士の100m競走の価値はなくなりません。銀行の仕事で、手計算がコンピュータに負けても当たり前で、コンピュータを使えばよいことです。囲碁や将棋も同じことです。

チェスの世界では、チェスが将棋や囲碁よりもシンプルなゲームであるため、20年以上も前に、人間はコンピュータに勝てなくなっています。しかし今でもチェスは世界中で愛好され、世界選手権も行われています。なぜでしょうか。その大きな理由は、コンピュータといえども、まだゲームの完全解明はできていない、ということがあります。例えばチェスで、何をどうやっても後手が必ず勝つ、あるいは先手が必ず勝つ、という必勝法が解明されたとすれば、それはゲーム自体が無意味になったことを意味します。そうなればさすがに人間同士が戦っても興ざめになるでしょう。しかしまだコンピュータはそこまでには至っていないのです。まして将棋や囲碁はまだまだです。しかも実は、今ではコンピュータソフトの技術者たちは、必勝法の解明をあきらめたようです。いまコンピュータがやっていることは人間と同じで、局面局面で最善手を探す、という作業の連続です。そして、膨大なデータを超スピードで処理して、人間よりも良い手を見つけてくるわけです。しかし最終的な勝ちが見えているわけではありません。

そのことを、電王戦で敗れた佐藤名人は「コンピュータの方が人間よりも少し神様に近いところにいると感じました」と表現しています。囲碁の世界チャンピオンは口々に、「これまで我々が理解したと思っていたよりも、囲碁の世界ははるかに深遠であることが分かった」と言っています。つまり人間は、コンピュータとの勝負を通じて、囲碁や将棋のゲームには、新たな努力や新たな発見の余地がまだまだたくさんあることを教えられたわけです。そして最先端の棋士たちはコンピュータをツールとして、新たな地平を切り開き始めたわけです。

藤井4段とコンピュータとの出会い

その最新の局面に、藤井4段が登場してきたのです。藤井4段は、お母さんの述懐では、将棋を覚えた幼稚園の頃に、詰め将棋を考えて考えて、「お母さん、考えすぎて頭が痛くなった」と言ったそうです。「考えすぎて頭が痛くなる幼稚園児なんていますか?」とお母さんは驚いています。幼稚園の頃と言ってもまだ10年前のことに過ぎません。その後、藤井少年は小学校六年生の時に、並みいるプロ棋士を退けて詰め将棋解答選手権で優勝し、その後3連覇しています。そういう努力と才能に、昨年からコンピュータが加わったのです。

下の写真は昨年(2016年)1月に、藤井4段(当時3段)が、師匠の杉本昌隆7段に連れられて、群馬の三浦9段の家で「将棋合宿」をした時のものだそうで、そのことを杉本7段が地元の新聞に書いた記事の中の写真です。

藤井3段は三浦9段の家に泊まり、若い奥さんの手料理を楽しんだそうです。ずいぶんと不思議な出来事ですが、三浦9段はそれまでも、名古屋に行く機会があると、尊敬する先輩である杉本7段に会って、藤井少年と将棋を指していたそうです。
写真で藤井3段の隣に座っているのは新鋭の三枚堂達也4段だと思われます。渡辺(カッコ竜王)誣告事件の時、三浦9段はコンピュータの使い方や利点を、この三枚堂4段に教えられ、それから使い始めたというエピソードが語られていました。

藤井4段は連勝中のインタビューで、1年半ほど前に先輩から「コンピュータを使うといいよ」と教えられて、コンピュータを使うようになった、と答えています。もしかしたらこの群馬の会合に、三浦9段はわざわざ三枚堂4段を東京から呼び出して、藤井3段にコンピュータのことを教えたのかも知れません。そうであれば歴史的な会合ということになります。

その後、三浦9段は急に強くなって、夏には竜王戦の挑戦権を獲得し、藤井3段は10月に4段になりました。藤井4段はインタビューで「局面局面で最善手があるはずで、それを探しています」という発言をしました。これは当然と言えば当然の考えですが、コンピュータに近い考え方なのかも知れません。

カンニングはダメ

将棋の研究にコンピュータをツールとして使うことは、何の問題もないし、むしろ良いことです。しかし対局の途中でコンピュータに相談するのはカンニングです。マラソンレースの途中で、誰にも分からないようにバイクで一走りするようなもので、これでは人間同士の勝負とは言えません。
チェスの世界では、世界選手権ともなれば巨額の金が動きますから、とっくの昔に、対局中にカンニングが出来ないように厳格なルールが決められ、違反した場合は重いペナルティが課せられています。だから人々はチェスを楽しむことができるのです。
将棋の世界も、ずっと前にそうすべきでした。将棋でコンピュータが人間に勝てるようになったのは最近ですが、実はずっと前から、詰むや詰まざるや、という終盤の局面では、コンピュータの方が圧倒的に強くなっていたのです。ですから巨額の賞金がかかった将棋では、人によってはカンニングの誘惑にかられることがあったのですが、将棋連盟はなぁなぁでカンニングを野放しにしてきました。三浦9段は、これでは逆に正直者が困る、としてスマホの持ち込みなどを規制するように、将棋連盟に求めていました。逆に渡辺(カッコ竜王)は「対局中にもヨメと連絡する必要がある」とよく分からぬ理屈を言ってスマホの持ち込みに固執していました。今後は、対局中にコンピュータを見ること、コンピュータを見た人からアドバイスを受けること、を厳格に規制すべきです。

そういうカンニング防止策がきちんと出来ていれば、人間同士の勝負は、将棋ファンでなくても見ていて面白いものであることを、今回の藤井4段のフィーバーは改めて教えてくれました。将棋の勝負で天下が沸くなどということは、吹けば飛ぶような将棋の駒に♪、と歌われた、はるか昔の関根13世名人や坂田三吉以来のことです。将棋界の暗雲は晴れたと思われます。

将棋連盟は名人の権威を守れ

ただし、読売新聞との関係について将棋連盟は再考すべきです。賞金をたくさん出すから竜王が最高位なんだ、棋士が並ぶときは竜王を先頭にしろ、名人より上なんだ、将棋の免状も竜王が署名する、などという、読売新聞の金にあかせた横車に、将棋連盟がひれ伏している姿はみっともない限りです。

下の写真は私の曾祖父の吉岡佐平という人が、約100年前の大正9年に、関根金次郎準名人からいただいた、将棋4段の免状です。

文章は、「将業四段免許そうろうこと。技りょう実力を認めそうろうにつきこれを定む書なり 大正九年三月五日 準名人 関根金次郎  吉岡佐平殿」となっています(読み方が間違っていたらゴメン)。

佐平は将棋にのめり込み、妻子を顧みず、駒袋を持って放浪の旅に出て、行方知れずになってしまったそうです。逆転のゲームである将棋にはそういう魔力があります。当時はアマもプロもなく、4段は4段で、今のプロの4段と同じ力量があったと言えるようです。その後長い年月が経ち、佐平は北海道で老いさらばえているのを見つけられ、幼少の頃に見捨てた息子に引き取られて、息子夫婦と孫(私の父)に囲まれて亡くなったそうです。

当時の関根金次郎氏は、まだ正式には12世名人から名人位を譲られておらず、準名人を名乗っていました。関根氏は達筆で知られており、この免状は関根氏が最初から最後まで全部自分ひとりで書いています。免状の本物は千葉県野田市の関根記念館にお納めしています。

13世名人位を譲られた関根名人は、将棋界のために一大決心をして実力名人制を制定し、最初の実力戦で優勝した木村義雄氏が14世名人となり、今の将棋界の隆盛を築きました。

このような歴史と伝統のある名人位は、将棋連盟の所有物ではなく、金目のものでもなく、ましてや読売新聞社の下風に立たされるはずもなく、日本の文化であり、すべての将棋ファンのものです。プロの棋士にとっても、これから将棋を目指すすべての少年少女にとっても、奨励会を勝ち抜き、プロになってからも順位戦を5年以上勝ち抜いて、ようやく到達できる名人位は、一点の疑いもなく、最高の地位であるべきです。

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