血圧の正しい物理学

「血圧を薬で下げると健康になる」という考えは、血圧の正しい物理学から外れた、非科学的な妄想である。毎日血圧を薬で下げいると、ボケが進み命が縮む
本稿では、血圧の正しい物理学を中学生でも分かるように解説する。中高年必読

本稿は拙著「血圧自然流」(アマゾン:右図)の一部の紹介です。

目次

第1章 血圧の正しい物理学
血液循環は物理現象である 抵抗がなければ圧力は生じない 血流を減らしてはいけない 高血圧と病気との因果関係 肺高血圧症 脳出血と脳梗塞 血圧185まで血管は破れない 本態性高血圧という欺瞞 動脈硬化は動脈狭窄である

第2章 血圧を血流と抵抗に因数分解する
血圧の法則 年を取ると血管抵抗が増える 血管抵抗増大→血圧上昇 血圧は80代から下がってゆく 血圧シミュレーション 例題研究 血液循環の図

第3章 高血圧基準値の誤り
国民の半分を高血圧にする基準値 3000万人からの異議申し立て 基準値は科学的にも間違っている 降圧剤治療で死亡率が上がった 血圧が低い方が要介護になる 血圧が高い方が長生きだった

第4章 降圧剤の副作用
高血圧学会は薬事法違反ではないか 降圧剤の副作用

第5章 血圧雑学メモ
下の血圧とは何か 下の血圧には意味がない 低血圧 血圧の男女差 健康食品なら良いのか 減塩は有害である 血液の塩分濃度が上がる? 減塩運動のカラクリ 新たに700万人に降圧剤を 健康な食事は塩分たっぷり 酒はやめなくてよい 新しい血圧目標 130? 血管を若く保つ方法

第6章 血圧基準は20世紀のままでよい
血圧基準は20世紀のままでよい 厚労省が基準値を140mmHgに下げた

 

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第1章 血圧の正しい物理学

血液循環は物理現象である
血液循環は、血液という流体が、心臓というポンプで押し出されて、血管というパイプの中を循環している現象である。これは、胃腸・肺・腎臓・肝臓・脳などにおける複雑な生命現象にくらべれば、シンプルな物理現象である。そして血液循環には、圧力とか流量とか抵抗という概念がある。それはプラント設計者とか配管工事業者にも分かる簡単な理屈である。ところが、現代医療者たちがさかんに唱える高血圧についての議論は、そのシンプルな物理法則にさえ反しており、根本から間違っているのである。

抵抗がなければ圧力は生じない
圧力は、抵抗があって初めて発生する。抵抗がなければ発生しない。これが圧力というものの根本原理である。流体のふるまいの因子として、流量、抵抗、圧力、の3つがある。このうち、流量と抵抗は物質的実体を持つ、現物である。しかし圧力は物質的実体を持っていない。圧力は現物ではなく、流量と抵抗が2次的に作り出す、1つの状態である。抵抗がなければ圧力は発生しない。これを日本では昔から「のれんに腕押し」「ヌカに釘」「柳に風」などという。
血圧も同じで、心臓がいくら頑張って血を送り出しても、それだけでは血圧は生じない。抵抗があって初めて血圧が発生するのである。だから「血圧があるから血が流れる」とか「血圧を上げて血を送る」という言い方は順序が逆で、「抵抗があるところに血を送り込むと、血圧が生じる」というのが正しい順序である。

このことは高速道路の渋滞を考えて見れば理解できる。高速道路を車が流れている時、事故とか工事で車線が少なくなる。つまり道路に抵抗が発生する。すると渋滞が発生する。

血圧が高くなるのはこれと同じ現象である。渋滞とは血圧が高くなった状態である。渋滞は、抵抗が高くなったところに、車が次々にやって来ることで生じる。血圧も同じで、抵抗が高くなったところに、それまで通りに心臓が血を送り込むと、血圧が上がるのである。

渋滞を解消する方法は、抵抗を減らすか、車両数を減らすかのどちらか、または双方である。しかし、車の数を減らすことは、そもそもの交通の目的に反する。車の数を減らしては、人の移動も物資の運搬も滞ってしまい、市場に魚や野菜が届かなくなる。だから、工事を終了させたり事故を片付けたりして、車線数を回復するのが正しい方法である。

血流を減らしてはいけない
血圧も同じで、上がった血圧を下げる方法は、抵抗を減らすか、血流を減らすかのどちらか、または双方である。しかし血流は、体に酸素と栄養と熱を運び、老廃物を運び去る役目をしているので、血流を減らすことは生命活動に大きな害を及ぼす。血流が止まれば人はすぐに死ぬ。正しい方法は、血流を減らすのではなく、抵抗を減らすことである。その方法は、食事、睡眠、呼吸、体操、マッサージ、リラックス、安心、楽しむ、怒らない、などの生活習慣にある。それは若さを保つということでもある。
血圧降下剤(降圧剤)はすべて、血流量を減らして血圧を下げる。血管壁を弛緩させる薬もあり、一見、抵抗が減って血流が良くなりそうだが、血管壁の弾力が血流を助けているので、弛緩させれば結局、血流は減る。毎日降圧剤を飲んで、血圧が下がった、下がった、と喜んでいる人は、血流を減らして生命力を弱めているのである。

高血圧と病気との因果関係
血液の循環回路は下図のようになっている。

血液は心臓からまず青い線に沿って肺に送られ、肺で酸素を吸収していったん心臓に戻り、そこから赤い線で全身に送られ、また心臓に戻ってきて、また肺に送られるという8の字を描いている。

肺高血圧症
肺高血圧症という病気がある。国立循環器病研究センターのサイトに次の説明がある。

肺高血圧症
肺高血圧症とは心臓から肺に血液を送るための血管である肺動脈の血圧(肺動脈圧)が高くなることです。肺動脈圧が高くなるのは何らかの原因で肺動脈が狭くなることや肺動脈が硬くなることによって、血液の流れが悪くなるからです。必要な酸素を全身の臓器に送るためには、心臓から出る血液の量を一定以上に保つ必要があります。肺高血圧の状態では、血液の流れが悪くならないように、狭い血管に必要量の血液を流すように心臓が努力することで肺動脈圧が上昇します    

ここに、高血圧と病気との因果関係が明確に述べられている。高血圧によって肺高血圧が起きているのではなく、「何らかの原因で」肺動脈が狭くなったり硬くなったりしたところに、これまで通りの血流を流そうとすることで、肺動脈の血圧が上がるのである。原因と結果の関係を下図に示す。

肺動脈が詰まるという原因があって、結果① の肺高血圧と、結果② の酸欠ということが起きているのである。結果①と結果②はパラレルに起きており、①のせいで②が起きた、という因果関係はない。肺高血圧になった原因も、酸欠になった原因も、肺動脈が詰まったことである。
だから、肺高血圧症に対して、「高血圧だから降圧剤で血圧を下げよう」という選択肢はない。降圧剤は血流を減らす薬である。肺に行く血流量が足らず、酸素を取って来れずに息も絶え絶えな時に、降圧剤を処方して血流量を減らしたら、ますます酸欠になって、患者は死んでしまう。真の解決策は、肺動脈の閉塞を解消して、肺への血流量を確保することである。実際、肺高血圧症を取り扱う医療現場ではそうしている。当然である。

そうであれば、8の字の反対側でも事情は同じはずである。体に行く動脈のどこかで血管抵抗が増大して、血流量が減って来ると、血流不足による病気、すなわち、心筋梗塞、脳梗塞、認知症、腎不全、緑内障、勃起不全、冷え性、低血圧、などのリスクが増大する。するとそれを察知した脳から心臓に指令が出て、心臓が頑張って血液を送る。すると血圧が上昇する。肺高血圧と同じである。高血圧は病気の原因ではなく、血流量を確保して病気から逃れようと、心臓が頑張った結果なのである。ところが、現代医療は8の字の反対側になると原因と結果を逆に考えるのである。高血圧だから、心筋梗塞、脳梗塞、認知症、腎不全、緑内障、勃起不全、などのリスクが高まるのだ、だから血圧を下げればリスクが減るのだ、と言って降圧剤を処方し、血流量をますます減らすのである。

脳出血と脳梗塞
ただし、一つだけ例外の病気がある。それは脳出血である。脳出血は脳で血管が破れる病気だから、血管内の圧力が高まることは、直接的なリスクになる。そして実は、高血圧が一因で生じる病気は、それしかないのである。
しかしここにカラクリがある。医療者たちは脳出血と脳梗塞(脳で血管が詰まる)を併せて脳卒中と言う。

昔の脳卒中は7割が出血だったが、現代日本では出血は25%で、75%が梗塞である。昔の日本人は栄養状態が悪く、血管が弱かったので、70才くらいになると脳の血管が破れることが多かった。しかし現代日本は衣食住の環境が昔より格段に良くなり、血管が丈夫になったので、血管が破れることは少なくなったのである。圧力だけで血管が破れるわけではないが、血圧が高いと脳出血が起きるリスクが高まることは確かである。一方で、血流量を減らして血圧が低くなると、血管が破れるリスクは減るが、血管が詰まるリスクが高まる。つまり、血圧を下げると脳出血は減るが、脳梗塞が増えて、脳梗塞が脳出血の3倍もあるので、脳卒中全体は増えてしまう。そして現実にそうなっている。脳卒中を防ぐためと称して、降圧剤を処方することで、逆に脳卒中が増えているのである。

血圧185まで血管は破れない
どのくらいの血圧で血管が破れるかについて、「血圧147で薬は飲むな」という本で東海大学医学部の大櫛陽一名誉教授は「血管は血圧185まで破れない」ことを紹介している。

脳梗塞治療薬t-PAは血栓をを溶かす。ただし服用中にどこかの血管が破れると血が止まらなくなる。そのため血管はどのくらいの血圧で破れるのかという研究がアメリカで行われ、185までは血管は破れないことが分かり、アメリカの救急医療基準として血圧185までならt-PA治療をすることになっている

大櫛氏は1971年大阪大学工学系大学院修了の科学者で、医学部名誉教授だが医療者ではない。

 

脳出血と脳梗塞とは違う病気である。医療現場では、脳出血と脳梗塞とを区別することは、治療方針を決める上で重要である。そこで間違う医療者はいない。ところが血圧について語る場合にのみ、医療者たちはわざわざ2つをまとめて「脳卒中」と呼ぶのである。それは結果的に人々に「高血圧は怖い」と思わせることになっている。

本態性高血圧という欺瞞
その高血圧はどこから来たのか。「なぜ高血圧になるのか?」という素朴な質問に、医療者たちは平然と「原因不明だ」と答え、「それを本態性高血圧と言う。本態性高血圧は高血圧全体の9割ある」と説明する。つまり医療者たちは「高血圧は大変だ」と言いながら、高血圧が起きる原因を知らないのである。「本態性高血圧」という名前をつければ、それで一件落着である。英語でも essential hypertension と言うので、世界的に医療者の心理は同じようなものである。しかし、「高血圧はなぜ起きるのか」が、血圧の正しい物理学の本題なのである。そこが分からなければ、問題は解決しない。

動脈硬化は動脈狭窄である
動脈硬化とは動脈が硬くなることだと、文字からは考えられる。しかし実態は違う。医療の定義も一応は「動脈が硬くなることだ」と言いつつ、内容説明になると、動脈の内壁にコレステロールが付着する、という話になっている。動脈硬化とは主として、動脈の内壁にコレステロールなどが付着(プラークと言う)して、動脈が狭くなることだと言う。そして動脈壁が硬くなることもあるが、動脈硬化の9割は、プラークの付着のことだというのである。そうであれば、動脈硬化とは「動脈狭窄」のことである。そして医療者たちは、動脈狭窄が起きるメカニズムは、高血圧で動脈の内壁がえぐられて、そこにコレステロールが潜り込むのだ、と曲芸的に説明するのである。どうしても高血圧を犯人にしたいようである。動脈狭窄と言ってしまうと、高血圧が犯人とは考えにくいが、動脈硬化と言い換えれば、高血圧を犯人に仕立てやすくなる。しかし普通に考えて因果関係は、動脈が狭窄すると、そこに血を通そうとして血圧が上がる、というシンプルな話である。その証拠に、血圧を下げてもプラークは消えないが、プラークが消えれば血圧は下がる。肺高血圧と同じことである。ここでも、人々に「高血圧は怖い」と思わせようという意図が見られる。

 

第2章 血圧を血流と抵抗に因数分解する

血圧の法則
血液循環を構成する3つの要素<血圧 血流量 血管抵抗>の間には、次の式が成立している。

これは流体一般に成立する計算式で、中学の理科で習う、電流回路におけるオームの法則「電圧=電流x抵抗」と同じである。この式は実際に、肺高血圧症の治療で使われている。肺動脈の血圧と血流量をなんとか測定して、上の式にその値を入れると、肺動脈の血管抵抗が計算できる。それは発案者である医師のWood氏の名をとって、Wood単位と呼ばれている。それを指標にして、Wood単位が3以上とかになると、外科手術をすると決めるのである。このように、血圧、血流量、血管抵抗についての上の計算式は、筆者の思いつきではなく、実際に医療界で使われている。本稿ではこれを「血圧の法則」と呼ぶことにする。
このように血圧は、血流量と血管抵抗という2つの因子で生み出されており、その2つの因子が変動することで、変動している。心臓がいくら頑張っても、心臓だけでは血圧は生じないし、血圧を上げることもできない。「血圧を上げて血を送る」という言い方は、起きている現象を正しく表現できていない。心臓にできることは、血を送り出すことだけである。そして心臓がそのように頑張ると、血管抵抗によって血圧が発生する。「血圧を上げて血を送る」のではなく、「血を送ると(抵抗によって)血圧が発生する」のである。抵抗が強ければ強いほど圧力も上がって、心臓パワーの上限まで上がる(心臓パワー以上には上がらない)。しかし抵抗がなければ、心臓がいくら頑張っても、のれんに腕押しなのである。これはホースで水まきする時に誰もが体験している。ホースの出口を指で押さえてすぼめると、ホース内の圧力が水道の元圧近くまで上がって(元圧以上には上がらないが)、水は勢いよく遠くまで飛ぶ。ホースの出口をゆるめると、抵抗がないので圧力は生じず、水はボチャボチャと近くに落ちるだけである。

年を取ると血管抵抗が増える
人は年を取ると、白髪になったりシワやシミができる。これは老化現象で、誰でもそうなる。血液循環においても、血管内に油汚れがついて流路が狭くなったり、血管壁が固くなったり、カルシウムが析出して石灰化したり、血液そのものがドロッとしてきたりする。それは老化現象だから誰でもそうなる。すると血管抵抗が増大する。

血管抵抗増大→血圧上昇
加齢で血管抵抗が増大し、一方で血流量が減らなければ、計算式に従って血圧は上がる。

だから血圧は年令とともに上昇する。日米での血圧の実態調査をまとめると、血圧は下のグラフのように年令とともにゆっくりと上がっている。ヨコ軸が年令でタテ軸が血圧である。

人々の血圧は緑色の帯の中に分布している。中央の濃い太い線が平均値である。血圧がこの帯の中にあれば普通である。普通とはということで、つまり異常ではなく正常である。
グラフで見られるように、平均血圧は30代では120くらいで、年令とともにゆるやかに上昇して、70代で平均140くらいになる。老化で血管抵抗が増え始めると、血が流れにくくなる。そのままでは血流量が減ってしまうが、心臓には余力があって、頑張って血流量を保とうする。すると計算式に従って血圧が上がるのである。
なぜ人は血流量を保とうとするのか。それは、全身に酸素と栄養を届け、体を温め、老廃物を除去する、という血流こそが生命の源だからである。心臓に余力があって、年をとっても血流量を保てる人、すなわち血圧を上げられる人は、生命力が強く長生きできる。心臓に余力がなく血流量が減ってしまう人は、血圧が上げられず、生命力が弱いのである。

血圧は80代から下がってゆく
ところがグラフで見られるように、血圧は80才くらいから下がって行く。血圧が心配だ、心配だ、と言う人は、血圧はいつまでも上がり続けると思っているかも知れないが、そういうことはない。70代になると心臓の余力が減ってきて、血流量を保てなくなり、血圧上昇はゆるやかになる。80代にもなると、血流量が大きく減り始め、計算式に従って血圧は下がり始める。そして100才になる頃には30代の血圧に戻ってくる。これは老衰なのだが、医療者は「血圧がよくコントロールできてますね」と褒めてくれる。

血圧シミュレーション
血圧の年令変化を、血流量と血管抵抗に分解してシミュレーションしてみよう。そのため血液循環のイメージを、下図のように考えてみる。

血液循環において、実体のある現物は血流量と血管抵抗の2つである。血管抵抗という人形があり、血流量という光源がそれを照らすと、スクリーンに血圧という影が映る。血圧は血管抵抗の影なのである。だから血圧を測って一喜一憂することにメリットはない。知るべきは、血管抵抗と血流量なのである。血液循環の現物は人形と光源であり、その2つが変化することで、影はいくらでも変化する。人形が大きくなれば影は大きくなり、光源が遠ざかれば影は小さくなる。この兼ね合いで血圧は年令変化する。

下表は、血流量と血流抵抗が、30才を基準として年令とともにどう変化して行くかを、合理的にシミュレート(想定)したものである。つまり、人形の大きさと光源の位置を合理的に変化させたら、影の大きさがどう変わるかを計算した結果である。

上段は血流量で、30才での値を基準値1.00として、60才まではそれが0.01ずつ減り、60才から80才までは0.02ずつ減り、80才からは0.04ずつ減って、100才になると0.72まで減少すると想定している。中段は血管抵抗で、30才での値を基準値1.00として、50代まではそれが0.02ずつ増えて、50代からは0.04ずつ増えて、100才になると1.52になると想定している。下段の緑色の文字は血圧の計算値で、上の2つの数値を単純に掛け合わせたものである。この表をグラフにすると下のようになる。

血管抵抗は年令とともに直線的に増大し、血流量は年令とともにゆっくり減少する。その2つを掛けあわせた血圧の線は、70才くらいまで徐々に上昇し、80才くらいから下降に転じる。その形は実態調査の実際の年令変化とよく一致している(下図)。

なぜこんなによく一致するのか。それは、一致するように血流量と血管抵抗の値を選定したからである。これをシミュレーションという。
このシミュレーションは、血圧を、血流量と血管抵抗という2つの因子に分解して、それぞれの年令変化を合理的に推定して計算したら、実際の血圧の年令変化が現れた、ということである。医療者たちは血圧が大事だ、血圧が大事だ、と言っているが、血圧は、血流量という光源と、血管抵抗という人形がスクリーン上に作り出す、影に過ぎない。影の大きさの変動は、血流量の変動と血管抵抗の変動の結果であって、健康のために真に知るべき情報は、影の大きさではなく、血流量と血管抵抗という2つの実体の動きなのである。そしてもし血圧を下げる必要があれば、血流量を減らすか、血管抵抗を減らすか、のどちらかである。それしか方法はない。なぜなら、実体を変化させないのに影だけが変化することはないし、実体が変化すれば影は変化するからである。そして人々は実際にそうしている。降圧剤は血流量を減らし、生活習慣の改善は血管抵抗を減らす。

例題研究
ためしに例題を研究してみよう。ある人が、50才になる頃に、健康診断で血圧が高いと言われ、生活習慣の改善でなんとか抑えようと努力したが、60才の頃には抑えられなくなり、降圧剤を服用することにした、とする。その経緯をシミュレーションすると下図のようになる。

その人は、若い頃から血管抵抗が増大しがちで、60才の頃には1.28まで増大した。一方で血流量の減少はそれほどでもなかったので、血圧が1.23まで上昇した。30才の頃の血圧が130mmHgだったとすれば、130×1.23=160mmHgである。そこで医者に言われて降圧剤を飲むことにした。すると血圧が下がってきて、70才になる頃には、なんと30代の血圧に戻ったのである。その間、血流量はどんどん減少してきた。これをグラフにすると下図のようになる。

確かに血圧は下がったが、血流量は30代の頃の7割になっている。血管抵抗の増大をそのままにして、血圧を下げるために降圧剤で血流量を減らしたわけだが、この血流量は、降圧剤を飲まない人の100才くらいの血流量である。こんなことをしては余命いくばくもないと思われるのだが、病院へ行くと医療者に「血圧がうまくコントロールできてますね」と褒められ、本人も「あー、良かった」と喜ぶのである。血圧の正しい物理学を知る人には笑い話だが、日本社会では医療者も含めてほぼ全員が、真剣にこのように行動しているのである。

血液循環の図
以上の考察を1つの「血圧循環図」にまとめてみる。

下段の入り口から入って行く。まず老化で血管壁が硬くなったり狭くなったりする(動脈硬化)。また、年をとると体内水分量が減ってくるので、血液がドロッとして粘り気を増す。この2つの要因で血管抵抗が増大する。それは一方で血流量の減少をもたらし、血流が不足した近辺で、さまざまな病気や体調不良のリスクが増大する。また他方で、血流量の減少を補おうとして心臓が頑張ることで、血圧が上昇し、それは脳出血のリスクを増大させる。これが血液循環と疾患との関係の科学的で合理的な解釈である。ところが現代医療は次図のように考えている。

医療者は、中心に本態性高血圧があって、循環器の疾患はすべてその本態性高血圧のせいであり、血圧を下げればすべてが解決するのだ、と言う。その本態性高血圧とやらはどこから来たのか、と問うと、それは知らない、と医療者たちは答えるのである。

血圧の正しい物理学から見れば、血圧上昇は自然な老化現象である。それほど気にすることはない。しかし、もし血圧上昇を抑制したければ、血液循環図から分かるように、やるべきことは血管抵抗の増大を抑制することである。
加齢によって血管抵抗が増える原因には2つある。1つは血管の問題で、血管壁が硬くなったり、内側に膨らんで(プラーク)流路が狭くなったりする。これを動脈硬化という。

もう1つは血液の問題で、血液の粘性増加である。人は年をとるとどうしても体内水分量が減ってゆき、みずみずしさが失われ、干からびてくる。おしゃべりなじいさんの口角に泡がたまるのは、唾液の粘性が増しているからである。すると体液の粘性が増してくる。血液の粘性が増すと血管抵抗も増大する。

動脈硬化を防ぐには、食事、睡眠、運動、呼吸、マッサージ、リラックス、など、さまざまな方法がある。すべて生活習慣の改善であり、老化を遅らせる方法だから、じっくりと一生かけてやることである。

血液の粘性を増大させないための簡単で手っ取り早い方法は、磁気活水を日常的に飲むことである。磁気活水は表面張力が少し下がっており、細いスキマに浸透しやすいので、体内水分の減少が抑制できる。体内の保水量が増えれば、血液の粘性も下がってくる。

 

第3章 高血圧基準値の誤り

国民の半分を高血圧にする基準値

赤い線は血圧140の線で、現在の日本の高血圧基準値である。現代日本では、赤い線以上は高血圧と診断される。基準線と血圧平均値とは60才のところで交差している。平均とは、半数がそれ以上で、半数がそれ以下だということである。だから60才の日本人の半数は高血圧なのである。
緑の帯は中央が山型のカマボコのような形をしている。ある年令のところでカマボコを切ると、断面がその年令の人の血圧分布になっている。それは下図のようになっている。

高血圧基準値は青い線である。1999年までは160mmHg以上が高血圧とされ、180mmHg以上が治療対象となっていた。それが2000年に140mmHgに下げられ、2019年には130mmHgとなった。分布の中央で線を引いたから、2000年から突然、日本人の半分が高血圧となった。そして医療者たちは「日本には高血圧患者が4300万人もいるんですよ」「これは国民病ですよ」と言うのである。

個々の医療者たちは本気でそう言っているのかも知れないが、一方で、基準値を低くすることで降圧剤が売れて、医薬業界に莫大な収入がもたらされ、マスコミに巨大な広告収入がもたらされている事実がある。

3000万人からの異議申し立て
2014年に、健保組合連合会(健保連)が血圧基準値に対して異議を申し立てた。現行血圧基準値は低すぎる、147mmHgでも問題ない、と言ったのである。


健保連は民間企業の健保組合の連合で、組合員と家族で3000万人を擁する。膨大な血圧データを収集しており、それを解析して、今の基準は低すぎると言ったのである。健保連は医療産業の支払側(スポンサー)だから、医療側に異議を申し立てる堂々たる権利がある。しかし高血圧学会はすぐにその反乱を抑えにかかり、学会を代表して滋賀医科大学の三浦教授が「血圧基準値の科学的根拠」という論文(下図)を発表した。

結局、健保連の異議申し立てはウラムヤになった。この論文の冒頭で三浦氏は、

日本高血圧学会の視点から、日本と世界における血圧基準値の科学的根拠について解説する・・・高血圧の定義は人為的なものであり・・・集団の血圧値の分布によって正常値を決めることはできない

と言っている。「高血圧学会は血圧基準値を、現実の血圧分布など無視して決めるのだ」と宣言しているわけである。現実の血圧分布を無視するとは思い上がりもはなはだしい、内容を見ずとも分かる文字通りの「机上の空論」でしかないが、こんなことを一部の者たちが勝手に決めて、一般に強制するのは、民主国家のルールに反している。せめて国会の承認が必要である。優生保護法の悪例のように、国会が決めたから正しいということはないが、一応は民意を反映したことになる。

基準値は科学的にも間違っている
三浦氏はこの論文で、血圧分布によらずに基準値を決めた「科学的根拠」として次の例をあげている。

左のグラフは冠動脈(心臓のまわりの血管)疾患について、右のグラフは脳卒中について、ヨコ軸に血圧をとり、タテ軸に死亡リスクをとったものである。どちらも血圧上昇とともに死亡リスクが直線的に増加している。このことから三浦氏は、「高血圧が悪いことは明らかだが、どこから先が危険かは医学的な話であって、世間の血圧分布とは別の話だ。医療者たちが研究して、ここから先は危険だと判断して、基準値を決めたのだ」と主張する。これが血圧基準値が現実の血圧分布を無視した理由である。

そして三浦氏はこのグラフから、

成人の血圧値は将来の循環器疾患・脳血管疾患のリスクと強い関連を示す。だから高血圧は循環器疾患・脳血管疾患の確立した危険因子となっている

と言っている。しかしこれは間違っている。相関関係は因果関係ではないからである。高血圧と疾患リスクとの間に相関はあるが、だからと言って高血圧が疾患の原因だとは言えないのである。
これまで考察したように、高血圧と様々な疾患とは、血流抵抗の増大という共通の原因によって、同時に並行して生じている。だから2つの間には相関がある。しかし、高血圧とさまざまな疾患との間に因果関係があるとは言えない。しかしなぜか医療者たちは、「高血圧だから病気になっているんだ」と決めつけて、「よし、血圧を下げよう」「血圧を下げれば病気は良くなるぞ」と言う。
実際の因果関係は下図のようになっている。

結果②と結果①は、同じ原因から同時にもたらされた、2つの結果なのである。
三浦氏が示したグラフを裏返しにして、右に90度回転すると下のようになる。

同じグラフだが、ヨコ軸が死亡リスクになり、タテ軸が血圧になっている。このグラフからは「死亡リスクが高いほど血圧が高くなる」という印象を受ける。相関関係のグラフの向きを変えたら因果関係が逆に見えるのである。実際、肺高血圧症では、血管抵抗が増えると血流量が減って疾患リスクが増え、そこになんとか血流を送り込もうとして、血圧が上がる、というメカニズムがあった。血圧の正しい物理学では、「血圧が上がると病気のリスクが増える」のではなく、「病気のリスクが増えると血圧が上がる」のである。因果関係は三浦氏の考えとは逆になるのである。

経済産業研究所上席研究員の関沢洋一氏は、同所のウェブサイトで「高血圧はどの程度危険か」という論文を2016年に発表し、次のように書いている。

血圧が高いと循環器疾患の発生リスクが高いとしても、そのこと自体からは、血圧が高いから循環器疾患の発生リスクが高いという因果関係が示されたことにはならず、相関関係が示されたに過ぎない。因果関係が示されるためには、実際に血圧を下げた時に循環器疾患のリスクが下がることが示される必要がある。

関沢氏は医者ではなく、知的な常識人である。相関関係だけからは因果関係は言えないとは、世間の常識である。

降圧剤治療で死亡率が上がった
関沢氏は、実際に血圧を下げたら疾患のリスクが下がるのかどうか、そこが問題だと言っているが、その例として次のグラフを提示している。

グレーの棒グラフは、血圧が高い人の方が死亡リスクが高くなっている。しかしこれもまた、血圧が高いと死亡リスクが高くなるという、単純な因果関係とは断定できない。重篤で死亡リスクが高い患者ほど、血流を確保しようと心臓が頑張って血圧が上がっている、という逆の因果も有り得るからである。
このグラフで注目すべきは降圧剤のメリットである。すべての血圧領域において、降圧剤を処方されなかった患者より、

降圧剤を処方された患者の方が死亡リスクが高い

ことが示されている。それは、循環器疾患の患者の血圧を降圧剤で下げることは、治療になるどころか、逆に有害であることを示している。それは実は、血圧の正しい物理学から明らかなのである。循環器疾患はそもそも高血圧で起きているのではなく、血流量が減ることで起きているのであり、降圧剤は血流量を減らす薬だから、「降圧剤を飲むと死亡リスクが高くなる」ことは、何も驚くには当たらない。当然の結果なのである。循環器疾患の患者に降圧剤を処方することは、俗世的な表現で言えば、「首つりの足を引っ張る」ことなのである。

血圧が低い方が要介護になる
また、先述の東海大学名誉教授の大櫛陽一氏は、YouTubeの「ヘルスアカデミー」の動画の中で、100才以上の人の血圧別自立度を紹介している。周囲の世話にならずに自立して暮らしている状態を100%とした時、どのくらいの自立度があるかという比較である(下図)。

なんと、血圧が高いほど自立度が高く、血圧が156~220 mmHgという最も高いグループで、自立度が最も高くなっている。これもまた血圧の正しい物理学から当然のことである。血圧が高い人とは、血管抵抗が増大しても血流量を保てるだけの、丈夫な心臓を持つ人だからである。だから本当は血圧の年令変化も、60代からも心臓が頑張って血流量を維持して、下図の点線のようにどんどん上がってゆくことが望ましいのかも知れない。

しかし残念ながら人々の心臓は、それほどの余裕はなく、老いてゆくのである。

血圧が高い方が長生きだった
九州大学は何十年にもわたって、福岡県久山町で、「久山町研究」という高齢者の疫学的調査をしている。その中に、1961年に平均年令69才だった566人が、13年後の1974年に175人まで減って平均年令79才になった、その血圧別の生存率データがある(下図)。

血圧基準値の140mmHg以下の人の13年後の生存率は22%で、140以上の人は37%である。そもそも調査開始の1961年の時点で、久山町には血圧140以上の人が338人、140以下の人が228人いた。血圧が高い人の方が、低い人の1.5倍も多く長生きしていたのである。それから13年間、その人々の生存比率は124人対 51人で、2.4倍となって、ますます拡大したのである。つまり、血圧が高い方が長生きするのである。これもまた血圧の正しい物理学から当然のことである。九州大学は2003年のアメリカ学術誌の論文で久山研究について次のように報告している(筆者訳)。

高令者の心筋や脳に適切な血流を保つには高い血圧が必要なのかもしれない
高血圧は高令者にとって心血管疾患の危険因子ではないのかもしれない
この年令の高血圧患者、特に高血圧ステージⅠ(140-160)の者に対する降圧治療の効利については、さらに明らかにされねばならない

ということである。すべて血圧の正しい物理学どおりの正しい考察である。しかも最後の一文は、この論文の「最後の最後」であり、最後にこれだけは言っておきたいという文章である。
久山町研究では、九州大学の医局から研究員が派遣され、降圧治療も実施していた。すると何が起きたのか。血圧の正しい物理学から推定される情景は、「降圧剤で140以下に下げたAさんは、お元気ですか?」「亡くなりました」・・・「言うことを聞かずに140以上でほったらかしてたBさんは?」「ピンピンしてます」・・・というものである。久山町の現実のデータが、事態がそのように推移したことを示している。そうであれば、上記のような論評にならざるを得ない。

2000年に血圧基準値を160から140に下げた時の血圧基準値委員会の責任者は、この論文の執筆者の一人である、九州大学内科の藤島正敏教授だった。教授という立場で、この論文の出稿を最終的に裁可したと思われる。血圧基準値を下げた理由について、藤島教授は2000年の第118回日本医学会シンポジウムにおいて「日本における高血圧治療ガイドラインの概要」と題して次の発表をしている。

この10年間に高血圧の病因、病態に関する研究は著しく進歩し、高血圧の定義(基準)も変わり、かつ、この間に新しく多種類の降圧薬が開発され、臨床応用されてきたからである。いまや高血圧治療は血圧を下げるだけでなく、いかに心血管病の発症を予防し、抑制するかが問われている。

すなわち、降圧剤が開発されてきたことが基準値引き下げの大きな要因となっていて、この薬を使えば将来の心血管病を予防できるかも知れない、それなら基準値を下げれば、早めに投薬治療が開始できる、と考えたようである。これは降圧治療の目的が、単に血圧を下げることから、心血管疾患の予防に拡張された、最初のステップである。
しかし当時はまだ、降圧剤で将来の心血管病が予防できるとは証明はされていなかった。この論文は次のように締めくくられている。

おわりに:JSH2000は本邦の臨床試験に基づいて作成されてはいるが、十分なエビデンス(EBM)に基づいているとはいい難い.今後は、日本人の大規模臨床試験が可能な体制作りをし、さらにエビデンスを取り入れた高血圧治療ガイドラインへと修正、改訂して行かなくてはならない。

その3年後の2003年に、厚生労働省の主催で「EBM普及推進公開討論会:根拠に基づく医療のあるべき姿」という討論会が開催された。EBMとは Evidence Based Medicine の略で、証拠に基づく医療ということである。そこに藤島教授が参加し、次のように語っている。

2000年に発刊した高血圧治療ガイドライン(JSH2000)は日本人のエビデンスに基づいて作成したが、肝心の降圧治療に関するエビデンス(大規模臨床試験)は乏しく今後の課題である

血圧基準を切り下げてから3年たっても、EBMは得られていなかった。つまり新しい血圧基準を是とする証拠は得られていなかったのであり、実は今でも得られていない。滋賀医科大学の三浦教授は論文で、血圧基準値が深い研究の結果決められたように書いていたが、実はそうではなく、見込み発車だったのである。しかし、160mmHgから140mmHgに、いきなり20mmHgも下げてはみたものの、お膝元の久山町では想定された結果が得られず、はて、この基準は正しいのか、という深刻な反省があったのである。だから、世界的に有名な久山研究の国際論文の最後が、

(140-160)の者に対する降圧治療の効利については、さらに明らかにされねばならない

という文章で終わっているのである。160と140との差がどうだったか、というのが藤島教授のきがかりだったのである。その藤島正敏教授は今どうされているか、と思ってインターネットで調べたところ、この公開討論会から2年後の2005年に、68才で亡くなられていた。20年前でも男性の68才の死は早い。死因は心筋梗塞と報道されている。何があったのか。

血圧基準値が切り下げられた以降に実施された大規模臨床試験は、ノバルティスファーマ事件として知られる治験で、製薬会社が自社の降圧剤の販売が有利になるようにデータを改ざんし、大学がらみのスキャンダルとして摘発され、逮捕者も出た。その後の2014年に、前述したように、健保組合連合会(健保連)が血圧基準値に対して異議を申し立てたのである。2005年以降の経緯やスキャンダルを藤島氏は知らないわけだが、皮肉なことに健保連が持つ膨大なデータこそが、藤島氏が言うEBMだと言えないこともない。そしてそれは、現行血圧基準値は低すぎると言っている。実は藤島氏自身がそのことに気づいていたと思われる。

 

第4章 降圧剤の副作用

高血圧学会は薬事法違反ではないか

下図は2017年に放送されたNHK番組「これを見たら下げたくなる高血圧」の一場面である。

この場面で日本高血圧学会理事長(当時)の伊藤貞嘉氏は、次のように説明した。

血圧の薬は、血圧を下げるだけが目的ではありません。血圧を下げるのはあくまでも通過点であって、脳や心臓、腎臓などの大切な臓器を守るのが、本当の目的なのです。

「血圧の薬を飲むことで、脳や心臓、腎臓などの臓器が守れる」と言っている。しかし降圧剤の効能書きに、そんなことは書いていない。降圧剤は「血圧を下げる」とは書いてあるが、「臓器を守る」とは書いていない。なぜ書いていないか。それは、そんな効能は確かめられていないからである。製薬会社はそんな効能の試験はしていない。したとしても、厚労省の認可を受けられるほどの結果は得られていない。高血圧学会は「①降圧剤は血圧を下げる。②血圧を下げると臓器が守られる。③ゆえに降圧剤は臓器を守る」という三段論法を唱えるわけだが、①は正しいが、②は証明されていないのである。だからこの三段論法は成立していない。ここまで述べてきたように、降圧剤で血圧を下げるとは血流量を減らすことであり、それではむしろ臓器は傷むのである。厚労省は、降圧剤に臓器を守る効能があるとは認めておらず、したがって効能書きにもそんなことは書いていない。効能書きに書いていない効能を、さもあるかのように言って薬を売ることは、薬事法違反である。

降圧剤の副作用
降圧剤の効能書きには以下のように副作用が書かれている。

これでどうして「脳や心臓、腎臓などの臓器が守れる」のか。なぜこんな注意書きがあるのか。それはこの薬を多数で試験したときに実際にこういうことが起きたからである。起きたことは書かねばならないのである。他の降圧剤には下図のような注意書きもある。

なんとも、世の中の病気がすべて書いてあるかのような注意書きである。降圧剤は血流量を減らす薬であり、血流量を減らせば多くの病気が起きてくるのは当然である。

認知症  脳の血流量が減ることは、認知力低下に直結する。降圧剤の使用量増加と認知症の増加とは連動している。

また、高齢者は入浴時に浴槽に浸かって血管がリラックスした時に、身体全体の血管抵抗が減って身体全体への血流量が急増し、脳への血流量が急減し、意識を失って浴槽に沈んで溺死することがある。高齢者はただでさえ血流量が減っているのに、さらに降圧剤で人為的に血流量を減らしていると、事故が起こりやすい。高齢者が浴槽で意識を失う事例は多々あり、溺死にまで至る事例は年間6000人に達している。

勃起不全(ED)  勃起不全は精神的な問題も大きいが、身体的には血流量の低下を反映している。

腎不全  腎臓は血液を沪過して、血液中の老廃物や不要物を抽出して排泄する。沪過するためには、血液を何度も腎臓に通して循環させる。そのため腎臓は、アンジオテンシンという物質を出して、動脈の弾力を強めて、腎臓に送る血液量を増やす独自の「権限」が与えられている。アンジオテンシンが作動すると血圧は上がる。つまり加齢によって腎臓機能が衰えると、アンジオテンシンが作動して血圧が上がる。だから腎機能の低下と血圧上昇との間には相関関係が生じる。すると医療者は例によって「高血圧で腎臓機能が落ちるのだ」と因果関係を勝手に決めつけて、アンジオテンシンを無力化する降圧剤を処方する。するとますます腎機能が落ちるのである。降圧剤の使用量の増加と人工透析の増加とは連動している。

 

緑内障  緑内障は眼圧が高いことが原因だと言われているが、実は緑内障の人のうち眼圧が高い人は30%しかいない。残りの70%は眼圧が正常なのに緑内障になっている。目薬の参天製薬のサイトでは、90%は眼圧は正常だと言っている。眼圧は関係がないのである。

下図はNHKで紹介されていた眼底の熱感知写真である。血流量を示していると思われる。

緑内障の人の全員の網膜が、右のように真っ青になって血流不足になっていて、正常な人は全員がそうなっていない。緑内障という病気そのものが、実は網膜の血流低下のことなのである。だから周辺から視野が欠けてくるのである。そもそも緑内障という名称は、白人の青い目が、緑内障になると緑色になることから名付けられたもので、眼底の血流減少なのである。東北大学眼科教授の中沢徹氏はインターネットで次のように書いている。

緑内障危険因子として目の血流不全があり、高血圧の過剰治療による低血圧に注意が必要です。全身の血液循環が悪い状態は、当然目でも循環状態が悪くなり緑内障が悪化します 
https://academist-cf.com/journal/?p=2115

 

 

 

第5章 血圧雑学メモ

下の血圧とは何か
血液は下図のように、心臓から送り出されて、動脈がそれを受け取って、膨らんで、次に動脈が縮んで、毛細血管に送り込むという流れをしている。

血液循環では心臓だけでなく、動脈もポンプの役割を果たしている。心臓が収縮して血液を送り出しているときに、それを受けた動脈は膨らんで圧力が高くなる。そのピークが上の血圧(収縮期血圧)である。心臓の拍動が終わると、動脈は血管壁の弾力で縮み始めて、毛細血管に血を送り始める。その間、心臓は休んでいて(拡張期)血液を送って来ないので、動脈の血圧は下がって来る。しばらくすると心臓が次の拍動を始めて、また血液を送ってくるので、動脈の血圧はまた上がり始める。上がり始める直前の、下がりきった谷底が下の血圧(拡張期血圧)である。

上図は動脈の血圧変動を表している。若いうちの血圧変動を中央の赤い線だとする。年を取ると血圧変動はオレンジ色の線(上の線)のようになる。年を取ると毛細血管の抵抗が増えてきて、動脈から毛細血管に血液を送り込むのに時間がかかるようになる。すると動脈の血圧はゆっくり下がる。ゆっくり下がってるうちに、次の心臓の拍動が来てしまうと、血圧が十分に下がらないうちに次の上昇が始まってしまう。すると下の血圧は高止まりすることになる。つまり年を取ると下の血圧は上がる。それがオレンジ色の線である。
一方で、年をとると、下の血圧は下がる要素もある。それは血管壁が硬くなってくるからである。柔らかい容器は伸び縮みして、圧力変動を吸収するが、硬い容器では、圧力変動は吸収されず、激しくなる。例えば右図のような固い容器に液体を入れておいて、圧力をかけた状態にしておくと、ちょっとでも液が漏れると、中の圧力はほぼなくなる。これは容器が固くて縮まないことと、液体が膨張しないことによって、中の液がちょっとでも漏れると容器内に隙間ができるためである。
血管の場合も、年を取ると血管の壁が堅くなってきて、動脈から毛細血管にちょっとでも血が移ると、動脈の圧力はすぐに下がる。次の拍動までに多く下がるようになるので、上図の茶色の線のように、年を取ると下の血圧は若い時よりも下がり気味になる。

つまり加齢によって下の血圧は、上がる要素と下がる要素がある。では下の血圧は、上がるのか、下がるのか。それには答えがある。下図は日本データ2010の下の血圧の年令分布である。

このように山型になっていて、30才から55才ぐらいまでは下の血圧は上昇してゆく。これは毛細血管が詰まりがちになり、上の血圧が上がり、それに追随して下の血圧も上がっていくからである。これは、まだ血管に弾力があることを示している。ところが55才を過ぎると下の血圧は下がり始める。それは動脈の壁が硬くなってきて、55才の頃はまだ上の血圧は上昇中だが、下の血圧がそれに追随できなくなって、ストン、ストンと早く下がるようになるからである。
2000年の血圧基準は、下の血圧は90以下ということだったので、ほとんどの人は基準値を越えることがなかった。しかし2019年にこれが80に下げられた。(ただし75才を過ぎたら90というクランク型の基準)すると下の血圧は、45才から75才まで、大半の人が基準値を越えるようになった。

下図は2009年に京都府立医科大学で、3000人を超える対象者に4年間、血圧降下剤を飲ませ続けた結果である。これはノーバルティスファーマ事件という悪名高い事件のデータで、論文自体は撤回されたのだが、このデータ自体には作為はないと思われる。これを見て分かることがある。それは、下の血圧だけコントロールすることはできないという事実である。上の血圧も下の血圧も同じように20%ほど下がっている。完全に連動しているのである。

下の血圧には意味がない
そもそも血圧が高くて心配なのは脳で血管が破れることであり、それだけである。脳の血管は血圧のせいだけで破れるわけではないが、もし血圧のせいで破れるとしたら、それは下の血圧ではなく、上の血圧のせいである。つまり下の血圧が高いから、何かが危険だということはない。しかも下の血圧だけを制御することはできないのである。高齢者で下の血圧が高い人は、毛細血管が詰まっており、低い人は動脈の壁が硬くなっている。しかし、それだけのことである。だからどうしろというのか。降圧剤で血圧を下げたところで、どうにもならない。だから下の血圧は気にしても意味がない。測ることさえ意味がない。何のために基準値を定めているのか、意味不明である。

低血圧
低血圧は、心臓が弱っているために起きる。心臓のパワーが弱くて血流量が不足しているのである。その結果、計算式どおりに血圧が下がる。問題の本質は血流量不足である。高血圧は高血圧学会が決めた基準値を越えているというだけなので、ほとんど生活上の実害はないが、低血圧は生活上困ることが多い。脳の血流量が不足すると朝、フトンから出られない。身体の血流量が不足すると手足が冷えてしまう。もともと心臓が弱いという人は別にして、女性によく起きる低血圧は、心臓に行く微小血管が詰まって、心筋のパワーが出なくなって起こる。これには「微小血管狭心症」という名前がついているが、女性の微小血管は細くて詰まりやすく、レントゲンなどで見えないので、なかなか診断がつかない。心筋への血流が不足すると、心筋のパワーが落ちて、ますます血流が悪くなるという悪循環になる。これを解決する方法は、微小血管の血管抵抗を下げて、血流を良くすることである。

血圧の男女差
血圧には男女差がある。総じて男性の方が女性より高い。なぜ男性の方が血圧が高いかというと、男性の方が体が大きいからである。男性の平均体重は70kgくらいで、女性は50kgくらいである。その分、血管の総延長に差があり、血管抵抗に差がある。その分、血圧に差が出るのである。血管の太さも男性の方がやや太いが、その分を差し引いても、男性の方が血圧がたかくなるのである。だから、基準値を同じにしてしまうと、男性の方が高血圧患者が多くなる。

健康食品なら良いのか
血圧を下げると称する健康食品がたくさんある。降圧剤ではなく、健康食品なら良いのではないか、と考えがちだが、そういうことはない。血管抵抗の増大を抑制して、血圧を下げる健康食品なら良いが、血流量を減らして血圧を下げる健康食品は良くない。そこを見極めて利用すべきである。実は、たいていの健康食品は血流量を減らすものである。よくある宣伝は、それを摂取し始めたらすぐに血圧が下がり、摂取するのを止めたらすぐに元に戻ってしまう、というものである。それは血流量を減らしている。血管抵抗の増大を防ぐには時間がかかり、いったんそれが成功すれば、健康食品を止めたからと言ってすぐに元に戻ることもない。

減塩は有害である
これは塩分摂取量と血圧のグラフである。塩分の摂取量を8.7g/日から5.9g/日まで減らすと、確かに血圧は133mmHgから130mmHgまで下がっている。減塩には効果があるように見えるが、このグラフはタテ軸を大きく拡大して誇張している。普通のスケールでは、ここの部分は下段のグラフのようになっている。ほとんど下がっていない。日本人の平均塩分摂取量は毎日11g と言われており、高血圧治療ガイドラインではそれを6グラムまで減らすことが目標とされている。しかし6グラムまで減らしてもこのグラフで見るように、血圧はほとんど下がらない。塩分摂取を半分にしても血圧は下がらないのである。2.9g/日まで減らすと126mmHgmで下がっているが、こんなに減らしては、心臓が動かなくなる怖れがある。心臓を動かすには塩分が必要なのである。。
人の塩分の必要量は個々に違う。出て行った分だけ摂取する必要がある。家にじっとしている人と、建設現場で働く人とでは、塩分の必要量は違う。それを一律に何グラムにしろと言っても理屈に合わない。必要量は自分で自然に分かるようになっている。塩が足りないと塩気が欲しくなる。仮に取りすぎても、塩分が体に貯まることはない。砂糖で太ることはあっても、塩で太ることはない。塩分を取り過ぎると、喉が渇いて水を飲んで排泄するようになっていて、体内の塩分濃度は0.9%で一定に保たれる。医療用の生理食塩水は、その濃度になっている。心臓は電気信号で動いており、電気を伝えるには体液の電解質濃度(塩分濃度)を一定に保つ必要がある。必要な塩分が摂取できれば調整できるが、塩分が不足しては心臓が弱ってしまうのである。夏になるとテレビが、熱中症予防に塩分を摂れとさかんに言うのはそのことである。

血液の塩分濃度が上がる?
塩分を取り過ぎると血液の塩分濃度が上がり、周囲の水分が逆浸透作用で血管内に集まってきて、血管内の血液量が増えて血圧が上がる、という説がある。この説は、摂取した塩分は血液中に多く配分されて、リンパ液とか細胞液にはあまり配分されない、という前提に立っている。体内でそんな落差がどうやって生じるのか。血は塩辛いが、汗だって塩辛い。摂取した塩分は体液全般にまんべんなく分配されると考えるのが自然である。濃度が同じなら逆浸透は起こらない。

塩分が悪い説の始まりは、何十年も前に秋田県で調査したら、県民は塩分摂取量が多く、血圧が高かった、という相関関係が見つかったことのようである。東北地方は寒くて体が冷える。だから心臓が頑張って血流量を確保しなければならない。心臓が頑張るには塩分が必要だから、塩分を多く摂取する。心臓が頑張ると血管抵抗にぶち当たって血圧が上がる。このようにして塩分摂取量と血圧との間に相関関係が生ずる。これは実際に因果関係でもある。塩分があると血圧が上がるのは確かで、逆に塩分が不足すると血圧は上がらない。しかし血圧の正しい物理学から見れば、それは血流量が不足しているわけである。ここで減塩すれば健康を損ねることになる。

高血圧学会は塩分が悪い説の定番として、アマゾンの原住民ヤノマミ族の事例を出してくる。テレビ番組でもさかんに言っていた。ヤノマミ族は何らかの理由で塩分を入手できず、血圧が低いまま、カエルやイモリを食べてアマゾンで2万年を生き延びてきた。塩分を摂取できないと心臓に元気が出ないので、血圧は上がらない。すると「ほら、ヤノマミ族はこんなに血圧が低いんですよ、塩分は良くないですよ」と高血圧学会はさかんに言う。しかしヤノマミ族は2万年も文明を作れなかったのである。日本では、石器、縄文、弥生、古墳、大和、という原初の歴史があって、現代に続いている。それが何もないのである。おそらく脳への血流が不足していたのである。日本人に減塩を勧めるのに、いまどきヤノマミ族の話をするか?という感じである。

減塩運動のカラクリ
高血圧治療ガイドライン2014に次の記述がある。

6  治療法の選択
しかし生活習慣の修正だけで目標血圧を達成できる患者は少なく、大部分の患者には薬物療法が必要となる

このように高血圧学会は、生活習慣の修正では血圧基準値を守れないことを知っている。人々は病院に行って「血圧が高いですね、とりあえず減塩しましょうね」と言われて、家族ぐるみで何ヶ月も努力する。しかし血圧は目標値まで下がらない。もちろん医療者たちはそんなことは先刻ご承知である。ガイドラインにそう書いてあるからだ。そして落ち込んで診察を受けると、「そうですか、じゃぁ、お薬にしましょうかね」となり、患者も「そうですね、お願いします」と納得するのである。いきなり降圧剤では躊躇してしまう。減塩は降圧剤へ導く補助ステップなのである。減塩で血圧が下がる、と本気で思っている医療者がいたなら、その人は治療ガイドラインを読んでいない。

新たに700万人に降圧剤を
高血圧治療ガイドライン2019の序文に次の記述がある。

現在我が国において高血圧の方は4300万人おられると推定されています。その中で適切に血圧がコントロールされているのはわずか1200万人であります。このような現状認識に立って日本高血圧学会は2018年、具体目標として高血圧の国民を10年間で700万人減らすことを掲げました。日本高血圧学会としての決意でもあります。

4300万人も高血圧の患者がいるのに、1200万人しか薬を飲んでいない、けしからん、高血圧の国民を今後10年で700万人減らすぞ、と言っている。生活習慣の改善ではそれは達成できないのだから、それはつまり新たに700万人に降圧剤を飲ませるということである。それが日本高血圧学会の決意なのである。700万人という数字がどこから来たかは分からないが、ともかく高血圧学会は目標値を設定しており、目標達成のためにさまざまな作戦を練っているのである。

健康な食事は塩分たっぷり
これはテレビで紹介されていた、健康家族の朝昼夕の食事である。毎食、味噌汁、漬物、焼き魚、梅干しなどがある。ここには十分な塩分がある。

ミネラルにはバランスが必要で、特にカリウムとのナトリウムのバランスが大切である。カリウムは野菜に含まれていて、ナトリウムは塩に含まれている。日本の食事は野菜や穀物が中心で、どうしてもカリウムが多くなるので、和食は味噌や醤油などで塩分を補って、バランスをとるようになっている。外国の食事はそれほど塩分が多くないように見えるが、パンには塩が入っているし、肉にも血が含まれていて、血には塩分がある。昔は冷蔵庫がなく、食品の保存に大量の塩が必要だった。梅干しとか塩鮭とか、思いっきり塩辛い味だった。しかし今は、家にも店にも流通にも冷蔵庫があるので、塩分は昔よりずっと少なくなっている。現代日本においてはことさら減塩を意識する必要はなく、減塩はむしろ有害である。そもそも、

第1に、血圧を基準値まで下げる必要はなく
第2に、減塩しても血圧は下がらず
第3に、減塩すると健康を損ねる

のである。現代の日本食は健康に良く、日本人の長寿を支えている。塩分も普通に摂取していて問題はない。ただし塩は天然塩に限る。

また、この事例の食卓は高齢の夫婦なので、魚が多いようである。鳥獣の体温は人間より高い。だから鳥獣の油脂は、鳥獣の体内では溶けていても、人間の体内では固形になりがちである。一方、魚は体温が低く、魚油は人間の体内では固形にならない。鳥獣の肉をあまり多く食べていると、血管内に固形の脂肪分がたまりやすくなり、動脈閉塞が起きやすくなる。魚油にはその心配がない。年を取っても動物たんぱくは積極的に摂取した方がよいが、動脈閉塞が心配なら、トンカツや焼肉より魚の方がよい。

酒はやめなくてよい
下図は国立循環器病センターのホームページに掲載されている「高血圧予防のためお酒を控えましょう」という趣旨のグラフである。左側が上の血圧(収縮期)のもの、右側が下の血圧(拡張期)のもので、ヨコ軸がアルコール摂取量、タテ軸が血圧となっている。

酒量が増えるほど血圧が上がっている。なるほど酒を控えた方がよい、という印象である。

しかし、ここでも、相関関係は因果関係ではないのである。先述の循環器疾患のリスクのグラフでは、ヨコ軸に血圧をとっていたから、血圧が上がるほど疾患リスクが増えるように見えた。しかしグラフを反転させたら、因果関係は逆に見えるようになった。酒については、初めからヨコ軸に酒量をとり、タテ軸に血圧をとって、循環器疾患の時とは逆になっている。酒量が増えるほど血圧が上がるという因果関係の印象が作り出されている。その因果関係は正しいか。ひな祭りの歌に 少し白酒召されたか 赤いお顔の右大臣~♪ という歌詞がある。酒を飲むと顔が赤くなる。それは毛細血管が弛緩して、血管抵抗が下がっていることを示している。そのとき血圧は下がっているはずである。また、寒い夜に屋台で一杯ひっかけるのは、毛細血管を緩めて、体温を手足まで運ぶためである。つまり感覚的には、酒を飲むと血圧は下がるのである。
酒で血圧が上がると言うためには、実際に酒を飲ませたら血圧が上がったとか、酒を止めたら血圧が下がった、ということを多人数で実証する必要がある。しかしこのグラフはそんな調査の結果ではないようである。おそらく、「どのくらいお酒を飲みますか」という質問への回答を、回答者の血圧別に並べただけである。それはきれいな相関関係になっていた。しかしそれだけでは因果関係は決まらないのである。

ここでも、グラフを裏返しにして横倒ししてみよう。すると下図のようになる。

ヨコ軸が酒量で、タテ軸が血圧である。こうすると、血圧が上がるほど酒量が増える、ように見える。いくら何でも、そんな奇妙な因果関係はないだろう、と思われるかも知れないが、それが有り得るのである。なぜなら血圧が高いとは、心臓が丈夫で血流量が多いということだからである。心臓が丈夫な人ほど酒量が多い、とは世間では十分に有り得ることである。このグラフはそのことを示しているだけとも考えられる。

新しい血圧目標 130?
2019年に高血圧学会は、75歳未満の成人の降圧目標を、上の血圧 130mmHg 、下の血圧 80mmHgとし、10mmHgほど下げた。なぜ下げたのか。高血圧治療ガイドライン2019に次の記述がある。

降圧目標はこれまでのガイドラインより低く設定され、血圧が高くなってきているという自らの病態をより早く知り、積極的に自らが生活習慣の修正を行うことが目指されています

ところが、酒量のグラフで分かることは、酒を一滴も飲まずにいても、上の血圧が130を下回ることはなく、下の血圧が80を下回ることはない、ということである。つまり日本高血圧学会は、生活習慣の改善ではクリアできない目標を設定している。なんとしても新たに700万人降圧剤を飲ませよう、という馬脚が表れている。そんな脅しは無視して、時に適量の酒を飲み、友と語らうことが人生にも血圧にもよいことである。

血管を若く保つ方法

血管年令測定器という道具がある。下の写真のように指先を挟んで、そこに赤外線を照射して、その反射光や透過光を検出して、スマホのアプリで分析して血管壁の硬さを計算し、それを血管年齢として表示する道具である。


どうしたら血管年令を若く保てるのか。メーカーの説明書に次の記述がある。

血管年令の数値をよくする方法
◇継続して行う適度な運動 ◇毎日を笑って過ごすこと ◇健康的な食品を選んで食べること ◇禁煙 ◇お茶や水で充分な水分補給をすること ◇静かにリラックスしたり瞑想すること ◇社会とのかかわりを保つこと

これらは全て心身の若さを保つ方法である。しかし「大事なこと」が書かれていない。節酒せよとも減塩せよとも書かれていないが、何と言っても、そもそも「血圧」という言葉が書かれていないのである。なぜか。それはこのメーカー(カナダ)が、世界中のユーザー数十万人を調べて、薬で血圧を下げても血管年令は若くならない、というデータを持っているからである。血圧は、血流量と血管抵抗がスクリーンに映し出す影にすぎない。血管年令は血管抵抗と類似の概念だから、血管年令が分かれば、影の大きさをわざわざ測る必要はない。しかも、血管年令を若く保つ生活をしていると血管抵抗の増大が抑制され、血圧は上がらなくなるのである。だからこのメーカーは血圧については何も語らないのである。

 

第6章 結論

血圧基準は20世紀型でよい

ここまでの内容で「降圧剤で血圧を下げると健康に良い」という医療者たちの主張が、いかに間違っているかがご理解いただけたと思う。高血圧で怖いのは脳で血管が破れることであり、それだけである。脳出血の原因は主として脳血管の奇形とか血管壁のモロさである。だから血圧が低くても起きることがある。血圧が高いことはリスクにはなるが、それでも、185mmHg までは心配ない。

以上のことから、血圧基準は1999年までの20世紀型基準が合理的だと言える。それは、160mmHg以上を高血圧と分類して注意観察とし、180mmHgを越えたら降圧治療の対象とする、というものである。この基準は、現実の血圧分布に依拠して、その上位10%くらいを高血圧と分類しようという、地に足の着いた素朴な考えであり、常識的で実用的な基準である。

それに対して現行の140mmHgという基準は、血圧の正しい物理学を知らない医療者たちの傲慢な妄想であり、社会に実害を及ぼしている。その裏にはおそらく利権がある。

日本だけでなく、世界の医療が、いまやグローバルな巨大製薬資本の支配下にある。特に21世紀になっての20年間で、強欲資本主義とかハゲタカ資本手技とか言われる、むき出しの金権支配が世界的に進行してきた。大学も病院も学会も学術誌も、その意向を無視しては存続出来ない状況になっている。この支配に抵抗する者は、町医者にはなれても医学部教授にはなれないのである。血圧基準値も、高血圧学会自身は多分意識していないが、巨大製薬資本の意向に沿って決められている。だから、血圧基準値は低すぎる、と高血圧学会に文句を言っても無駄である。自分自身で血圧の正しい物理学を理解して、自衛するしかない。

厚労省が基準値を140mmHgに下げた

ところが突然、風向きが変わった。2024年4月に厚労省は、医療が介入すべき血圧基準値を140mmHgから160mmHgに上げたのである。厚労省は表立って発表しないし、高血圧学会は猛反対していて、何が正しいのかしばらく情報が錯綜していたのだが、東海大学の大櫛陽一名誉教授がヘルスアカデミーの最新の動画で、詳しく解説してくれている。

大櫛氏はこの決定をした厚労省の委員会にかつて参与していたので、事情がよく分かるのである。どうやら、昨今の健保の赤字に危機感を持った財務省が、厚労省に圧力をかけた。厚労省も健保制度がつぶれては困るので、財務省の圧力を利用して、高血圧学会の顔を立てながら、「高血圧学会の血圧分類は変えなくていいですよ、でも病院を受診するのは160mmHgからでいいですよ」ということにしたのである。だから高血圧学会は今でも、「は? 血圧基準? 変えてないですよ」と言っている。そう言えるように厚労省が配慮したわけだが、大事なのは血圧の分類ではなく、どの血圧から降圧剤を処方するかである。血圧160mmHgまで病院に行かなくてよいということは、この方針が行き渡れば、血圧基準値を160mmHgにしたのとほぼ同じ効果がある。厚労省は名を捨てて実を取ったと言える。
大櫛氏によると、この変更によって、降圧剤の需要は10分の1になるそうである。逆に言えばこれまで人々は10倍の金を支払っていたわけである。降圧剤の害の本質は、人々の健康を損ねることだが、費用も大きい。健保は、企業と従業員が半分ずつ負担しているが、見方によっては企業が全部負担しているとも言える。企業経営者は、余分な金を払って、逆に従業員やその家族の健康を害しているのである。従業員全員が血圧の正しい物理学を理解すれば、無駄な健康被害も支払いも減る。

降圧剤は徐々にやめる

医療者に現行の血圧基準を適用されて、これから降圧剤を飲もうとしている人は、血圧の正しい物理学を理解して、少し待った方がよい。現在飲んでいる人は、止めると血流が戻ってきて、例えて言えば、しびれていた足に血流が戻ってくるようなことが、全身的に起きる。それが健康に悪いということはないが、薬害の反動もあるので、いきんり全部止めるのではなく、時間をかけて徐々に減らして行くとよい。

 

 

血圧の正しい物理学  おわり